最近思うことがある、「人生は変わるものか、決まっているものか。」
私は東北出身であり、四国高知には無縁だと思っていた。しかし、今高知にいる。10年前の自分は、この未来を描いていただろうか。私だけに限った話では無い。皆さんも10年前の自分が高知にいる事を予想しただろうか。では、10年前の自分が描いた未来像そのものに生きている人はいるだろうか。そう多くは無いはずでしょう。では、10年後の未来を思い描いた時に、その通りに人生は進んでいくのか。10年後の未来は決まっているのであれば、今という時間は何なのか。
歴史の教科書にはこう書かれている。
坂本龍馬 1836年1月3日 誕生
1867年12月10日 死去
このように書かれると、坂本龍馬の死は決まっていたかのように思えてしまうし、坂本龍馬は違う人生を歩んでいたとしても31歳で亡くなったのかもしれないと思ってしまう。
しかし、この人生既定論に対して、私は反対する。
これまでの人生で起きた出来事は全て結果論であると考える。私が高知に来たのも結果論、過去から見た未来である。現在から見返した時に人は人生は決まっていたと錯覚してしまう。22歳ごときが考える人生とは、線では無く点の連続、ミシンの縫い目と同じである。1つの点はから次の点までは360度どこにだって行ける。それが縫い終わった後に1つの線に見え、あたかも既定路線を走っているように感じてしまうのではないだろうか。教科書は先人達の始めの点と終わりの点を教えてくれる。これを私たちは勝手に点から点へと繋げ、線が出来る。
今という時間は先頭の点であり、いつでも方向転換をする事ができる。自分の目標が見つかったらいつでも点から違う点に向かえばいい。10年後が思い描いた自分じゃ無くたって良い。これを読んで、あなたは人生は変わるものか、決まっているものか。どちらが正しいと思いますか。
[FW 恩田将吾 (新4回生)]

↑帰省中の飛行機で高知にいる事を実感します。
私は東北出身であり、四国高知には無縁だと思っていた。しかし、今高知にいる。10年前の自分は、この未来を描いていただろうか。私だけに限った話では無い。皆さんも10年前の自分が高知にいる事を予想しただろうか。では、10年前の自分が描いた未来像そのものに生きている人はいるだろうか。そう多くは無いはずでしょう。では、10年後の未来を思い描いた時に、その通りに人生は進んでいくのか。10年後の未来は決まっているのであれば、今という時間は何なのか。
歴史の教科書にはこう書かれている。
坂本龍馬 1836年1月3日 誕生
1867年12月10日 死去
このように書かれると、坂本龍馬の死は決まっていたかのように思えてしまうし、坂本龍馬は違う人生を歩んでいたとしても31歳で亡くなったのかもしれないと思ってしまう。
しかし、この人生既定論に対して、私は反対する。
これまでの人生で起きた出来事は全て結果論であると考える。私が高知に来たのも結果論、過去から見た未来である。現在から見返した時に人は人生は決まっていたと錯覚してしまう。22歳ごときが考える人生とは、線では無く点の連続、ミシンの縫い目と同じである。1つの点はから次の点までは360度どこにだって行ける。それが縫い終わった後に1つの線に見え、あたかも既定路線を走っているように感じてしまうのではないだろうか。教科書は先人達の始めの点と終わりの点を教えてくれる。これを私たちは勝手に点から点へと繋げ、線が出来る。
今という時間は先頭の点であり、いつでも方向転換をする事ができる。自分の目標が見つかったらいつでも点から違う点に向かえばいい。10年後が思い描いた自分じゃ無くたって良い。これを読んで、あなたは人生は変わるものか、決まっているものか。どちらが正しいと思いますか。
[FW 恩田将吾 (新4回生)]

↑帰省中の飛行機で高知にいる事を実感します。