私は高知大サッカー部の部員、サッカーをしているすべての人にある問いを投げかけたい。
それは「サッカーとは何?」である。これは高校サッカー部の友達がある日突然LINEで聞いてきた質問である。私はその問いに対し答えられなかった。正解があるわけではない。その問いに対する答えはそれぞれあって良いと思う。しかし、自分の考えがなく、答えが自分の中に見つからなかったことに対し、いちサッカー選手として虚無感を抱いた。
私に限った話でいえば、プロを目指しているわけではないし、推薦で入部したわけでもない。大学4年間の多くの時間を費やして行うサッカー。そこまでサッカーに対する熱量がなかったり、時間を費やしたくないのであれば、サッカー部より活動頻度の少ないサークルに入る方が筋が通る。しかし、私含め高知大サッカー部に所属している選手は、みな週6で部活に参加している。意味や意図などがあるからこそ、サッカー部として活動しているはずだ。ここにどのような価値があるのか、何のためにやっているのか、なぜやり続けられるのか、について明確な考えが自分の中で発見できれば、自分にとっての「サッカー」というスポーツの価値が見出せると思う。
この問いの答えに直結するとは思っていないが、2回生の中では私にしか経験していないことについて触れたい。それは今年の新人戦を選手ではなく学生コーチとして携わったことである。これは自分自身のサッカー人生において新たな刺激を得られ、新たな発見ができたと強く感じる。なぜ選手ではなく学生コーチを選択したのか。葛藤はもちろんあった。選手をしたいが学生コーチという新たな経験もしてみたい。両親や仲間には選手を勧められた中、最後は「興味」という自分の気持ちに頼った。この判断は正解だったといまは感じている。学生コーチとしての1ヶ月弱の期間は選手視点ではなく指導者として物事を考えなくてはならず、メニューやスタメン・ベンチの選考、戦術や分析など選手では考えることもなかったような事を考えなくてはならない。その過程の中であらゆる場面で新たな気づきに出会い、新たな発見にも出会った。この経験は忘れてはならないし、忘れることはないと思う。
私はこの間に「サッカー」はおもしろいものだと改めて感じた。点が入った時、ベンチ含めみんなで喜ぶ瞬間、それらはコート内の選手だけでなく、外の我々にも考えられないほどの歓喜でもあった。また、負けの合図を示す試合終了のホイッスルと同時に感じる悔しい思い。大学生になっても、そのような感情を感じられるのはサッカーというスポーツならではの面白い点だと気付いた。
まだ表面上の答えしか見つかっていないかもしれないが、私にとってサッカーを続ける理由や価値には勝利という共通の目標に向かって仲間と共に切磋琢磨し、喜びを味わえるものがあり、ここに最初に示した問いの答えがあると思う。
最後にこのブログを通じて私が言いたいことは、この問いに対し、自分なりの答えを各々が考えてほしいのである。答えは様々であり、正解はない。少しでも答えが見つかればより強度の高い練習をしなければいけないという危機感が芽生えるはずだ。全国に出たいのであれば、目の前の試合に勝ちたいのであれば、これ以上緩い練習はできないはずだ。まだ見ていない景色をみるために各々ができることをやり続けるだけです。
私のブログを最後まで読んでくれた方々に感謝を申し上げるとともに、今日の練習から目の色変えて練習に臨むことを願っています。
[DF 光森舜 (2回生)]

↑ 2つの宝
それは「サッカーとは何?」である。これは高校サッカー部の友達がある日突然LINEで聞いてきた質問である。私はその問いに対し答えられなかった。正解があるわけではない。その問いに対する答えはそれぞれあって良いと思う。しかし、自分の考えがなく、答えが自分の中に見つからなかったことに対し、いちサッカー選手として虚無感を抱いた。
私に限った話でいえば、プロを目指しているわけではないし、推薦で入部したわけでもない。大学4年間の多くの時間を費やして行うサッカー。そこまでサッカーに対する熱量がなかったり、時間を費やしたくないのであれば、サッカー部より活動頻度の少ないサークルに入る方が筋が通る。しかし、私含め高知大サッカー部に所属している選手は、みな週6で部活に参加している。意味や意図などがあるからこそ、サッカー部として活動しているはずだ。ここにどのような価値があるのか、何のためにやっているのか、なぜやり続けられるのか、について明確な考えが自分の中で発見できれば、自分にとっての「サッカー」というスポーツの価値が見出せると思う。
この問いの答えに直結するとは思っていないが、2回生の中では私にしか経験していないことについて触れたい。それは今年の新人戦を選手ではなく学生コーチとして携わったことである。これは自分自身のサッカー人生において新たな刺激を得られ、新たな発見ができたと強く感じる。なぜ選手ではなく学生コーチを選択したのか。葛藤はもちろんあった。選手をしたいが学生コーチという新たな経験もしてみたい。両親や仲間には選手を勧められた中、最後は「興味」という自分の気持ちに頼った。この判断は正解だったといまは感じている。学生コーチとしての1ヶ月弱の期間は選手視点ではなく指導者として物事を考えなくてはならず、メニューやスタメン・ベンチの選考、戦術や分析など選手では考えることもなかったような事を考えなくてはならない。その過程の中であらゆる場面で新たな気づきに出会い、新たな発見にも出会った。この経験は忘れてはならないし、忘れることはないと思う。
私はこの間に「サッカー」はおもしろいものだと改めて感じた。点が入った時、ベンチ含めみんなで喜ぶ瞬間、それらはコート内の選手だけでなく、外の我々にも考えられないほどの歓喜でもあった。また、負けの合図を示す試合終了のホイッスルと同時に感じる悔しい思い。大学生になっても、そのような感情を感じられるのはサッカーというスポーツならではの面白い点だと気付いた。
まだ表面上の答えしか見つかっていないかもしれないが、私にとってサッカーを続ける理由や価値には勝利という共通の目標に向かって仲間と共に切磋琢磨し、喜びを味わえるものがあり、ここに最初に示した問いの答えがあると思う。
最後にこのブログを通じて私が言いたいことは、この問いに対し、自分なりの答えを各々が考えてほしいのである。答えは様々であり、正解はない。少しでも答えが見つかればより強度の高い練習をしなければいけないという危機感が芽生えるはずだ。全国に出たいのであれば、目の前の試合に勝ちたいのであれば、これ以上緩い練習はできないはずだ。まだ見ていない景色をみるために各々ができることをやり続けるだけです。
私のブログを最後まで読んでくれた方々に感謝を申し上げるとともに、今日の練習から目の色変えて練習に臨むことを願っています。
[DF 光森舜 (2回生)]

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