私はペンを握り、机と向き合い、ひとり座学する時間がとても好きです。
スポーツ科学という学問(スポーツ科学に限らず)は、スポーツという素晴らしい文化を愛し、情熱を持って研究を進めた先人が残してくれた知恵や知識の塊です。
大学で、そのスポーツ科学の面白さと出会い、そして人生の軸となる言葉と出会ったので皆さんに紹介します。
「あなたは人生の軸となり、支えとなる言葉を持っていますか?」
就活をしている4回生は、面接等で聞かれたことがあるのではないのでしょうか。
この質問に答えられる人にはきっと、趣味、好きな学問、好きな人、仕事、充実した生活などがあると私は思います。
なぜなら「軸となる言葉」は、単に好きな言葉ではなく、その人が所属する、あるいはその人が行う何かに関連して作り上げられると思うからです。
例えば、ある人のその言葉が「人生はロックでパンクだぜ!」だとしても、私にはピンときません。
きっと、その人は、音楽と関連した素晴らしい「生き方」を持っているのでしょう。
私のこれまでの人生には、サッカーが鏡川を流れる水のように、また桂浜に打ち寄せる波のように絶えずまとわりついています。
つまり、私の人生の軸となる言葉はサッカーへの情熱を通して作り上げられました。
小学生の頃、身体のサイズには恵まれたものの、ボールを扱う技能や身体能力は周囲とかけ離れて劣っていました。
そのため、私にとってサッカーは、常に工夫を凝らして行う競技でした。
所属していた少年団は、県下では上位のチームで、韓国に遠征に行ったり、強豪校やクラブユースへ選手を輩出する素晴らしいチームでした。
同時に、私にとってはライバルだらけのサバイバルチームでもありました(周りの選手はライバルとは思ってなかったと思う=これってめっちゃつらい)。
だからと言ってはなんですが、私はサッカーに対して常に具体的で、明確な目標を持つことができ、さらに、具体的な取り組みを行うことができました。
例えば、すぐにボールを蹴れなかった私は、公園の金網に向かって「今日はここからバウンドせずに届くように」と日々距離を伸ばしていきました。
後々、この学習プロセスってめっちゃ大切ってことに気づきます。
このプロセスを踏めたのは、①周囲に自分よりも技能の高い選手がいたから。②その人のキックそのものが明確な目標(ビジュアル化している)になったから。③そのために何をすべきか自分が分かっていたからだと振り返ります。
自画自賛はさておき、このプロセスを何度も何度もサッカーを通して経験することで、挑戦と失敗、その後に続く工夫と成功(or失敗)を味わいます。
その結果、このプロセスは私にとって習慣となりました。
いい事でも悪い事でも習慣というものは、一度身につくとなかなか変わろうとしません。
この場合、私にはものすごく良い習慣がついたと思っています。
気づくと私は、自分をみつめ、周りと比べ、その差を方法をもって解決することが得意になっていました。
さて、サッカーをしている人にとって、私と同じような経験をしてる人は多いのではないでしょうか。
みんなボールをしっかりと蹴っているし、ドリブルもしっかりとできる。
何か工夫を凝らしてこの技能を習得したのは間違いないからです。
難しいタスクは身の回りに転がっていて、それに気づき習得した選手ばかりだと思います。
故に、サッカー選手は問題解決能力が高いのだと私は思います。
自分より優れた素晴らしい人は常に存在して、努力をしなければ目標に近づくことはできない。
それを子供ながらに学べたのはサッカーのおかげです。
私がサッカーを通して、自然と身につけたこの学習プロセスは、「省察的実践」であるとスポーツ科学を学習する中で学びました。
この言葉と出逢ったのは「NSCA S&Cカンファレンス2015」のとある講義です。
講師は日本体育大学のコーチング学准教授 伊藤雅充先生です。
伊藤先生は「アスリートセンタードコーチング」というコーチングのプロセスを打ち出している方です(もっと知りたい方はこちらを参照)。
この講義がきっかけで、私はコーチング学を学ぶようになりました。
そして、この講義の中で扱われた「省察的実践者である」ということが、私の明確な人生軸となり(なっていた部分もある)ました。
私は頭の中で様々な振り返りをしました。
例えば、先ほどのキックの例では、「なるべく遠くから金網にめがけて蹴る」という斬新なアイデアではあるものの、サッカーのキックについて書いた本を読む、先輩に教えてもらうなどキックの飛距離を伸ばす方法はもっと他にあったかもしれないと思ったのです。
私はこの振り返りを通して、もっと質の高い「省察的実践者」になりたいと思いました。
自分の行為を省察するためには何がどうだったのか。具体的に反省する必要があり、そのためには様々な知識が必要です。
省察をもって、新たな実践をするためにも、知識が必要です。
つまり、学習は必須で、省察→学習→実践→省察…というサイクルが永遠に続くということです。
省察による気付きから、学習が生まれ、学習を踏まえた挑戦からまた省察が生まれる。そして、ますます深い考え方ができるようになる。そう考えただけでワクワクします。
これからの人生で様々なことにチャレンジし、その度に目標、ゴール、目的、達成したいことができると思います。
私は、運や偶然、たまたま、調子が良かった・悪かったなどの言葉を絶対に使いません。
成功したのは努力、工夫、挑戦、過去の失敗から学んだおかげ。
失敗したのは、工夫、学習、挑戦が足りなかったから。
この省察的実践者的な人生を送れば、死ぬまで成長のある豊かな人生であると信じ「省察的実践者である」という言葉を胸に、これからの人生を生きていきます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
これを機に、言葉を持っていない方は、何か自分の支えとなる言葉をみつけ、また言葉を持っている方はその言葉を大切に、日々の生活と真剣に向き合って豊かな人生を歩みましょう。
最後に、伊藤先生が講義の中で話したある言葉で締めたいと思います。
「省察の無い10年間は、1年を10回繰り返しただけ。省察的実践者であろう」
P.S.
最近は、学習意欲のめちゃくちゃ高いマネージャーさんと学習会を開いています。
誤った情報や恥ずかしいことを教えないように、準備をしっかりして、マネージャーさんと学習していきたいです。
DF 芳川 隼登 (4回生・副将)
