ビーチサッカーの全国大会で両脚を攣った門田朋樹です。試合中2Pで、窪内天哉総監督に攣っていることを伝えましたが、試合に夢中で彼は聞いていませんでした。もっと選手を労って下さい総監督。
いよいよ最後のブログを書くことになって、時の流れにびっくりしています。1回生のときから4回生まで、濃密な時間を過ごしたからこそあっという間だった気がします。1回生の時はCチームスタートで前期が終わったころにDチームに落ちました。1回生ということもあり、練習の30分前に集合していましたが、朝練の日なんかは5時起きでした。何でこんな早く起きないかんのやと思うこともありましたが、今となってはいい思い出です。DチームからいきなりAチームに上がった1回生の冬は環境の変化が劇的過ぎて大変でした。プレースピード・判断が違う、戦術について熟知しておかなければならないなどついていけませんでした。しかも同回生は自分と丸のみで、不安でした。Aチームの人間としてふさわしくなろうと、この頃からプロテインを飲み始めたことも覚えています。不安ばかりの始めでしたが、反面嬉しかったことがありました。皆さんは何それと思うかもしれませんが、Aチームの名盤に自分の名前があったこと、AチームのLINEグループに入った時の高揚感は大学4年間でもトップレベルです。そこからは常にトップチームに携わりましたが、今の自分の立ち位置は4年前からしたら想像できなかったでしょう。環境の変化で人は変わるもんだなと実感しました。後輩の皆さんも一時は自分の環境をガラッと変えてみるのもいいかもしれませんよ。
4年間で様々な出会いがあり、仲良くできた日々は生涯最高の宝です。宮武監督とは中学以来の付き合いであったり、中学から一緒の天哉、高校一緒の和郎、陸玖、助村、先輩、後輩、同回生、スタッフ、マネージャー、その他大勢の人々に感謝します。
最後になりますが、独り言として綴っておきます。充実した日々でしたが、後悔していることは多々あります。大きなものとしては全国大会に二度も行けなかったことです。一度目は3回生の冬に膝を怪我したため、二度目は4回生の夏に試験のため行けなかったことです。絶妙に重なってしまったことに自分の運の無さも感じました。後輩のみんなは必要な時に自身が常にいる状態を維持し続けてほしいと思います。自分がピッチに立ってない状態に憤りを感じ、貪欲に戦っていって下さい。
[GK 門田朋樹 (4回生)]

いよいよ最後のブログを書くことになって、時の流れにびっくりしています。1回生のときから4回生まで、濃密な時間を過ごしたからこそあっという間だった気がします。1回生の時はCチームスタートで前期が終わったころにDチームに落ちました。1回生ということもあり、練習の30分前に集合していましたが、朝練の日なんかは5時起きでした。何でこんな早く起きないかんのやと思うこともありましたが、今となってはいい思い出です。DチームからいきなりAチームに上がった1回生の冬は環境の変化が劇的過ぎて大変でした。プレースピード・判断が違う、戦術について熟知しておかなければならないなどついていけませんでした。しかも同回生は自分と丸のみで、不安でした。Aチームの人間としてふさわしくなろうと、この頃からプロテインを飲み始めたことも覚えています。不安ばかりの始めでしたが、反面嬉しかったことがありました。皆さんは何それと思うかもしれませんが、Aチームの名盤に自分の名前があったこと、AチームのLINEグループに入った時の高揚感は大学4年間でもトップレベルです。そこからは常にトップチームに携わりましたが、今の自分の立ち位置は4年前からしたら想像できなかったでしょう。環境の変化で人は変わるもんだなと実感しました。後輩の皆さんも一時は自分の環境をガラッと変えてみるのもいいかもしれませんよ。
4年間で様々な出会いがあり、仲良くできた日々は生涯最高の宝です。宮武監督とは中学以来の付き合いであったり、中学から一緒の天哉、高校一緒の和郎、陸玖、助村、先輩、後輩、同回生、スタッフ、マネージャー、その他大勢の人々に感謝します。
最後になりますが、独り言として綴っておきます。充実した日々でしたが、後悔していることは多々あります。大きなものとしては全国大会に二度も行けなかったことです。一度目は3回生の冬に膝を怪我したため、二度目は4回生の夏に試験のため行けなかったことです。絶妙に重なってしまったことに自分の運の無さも感じました。後輩のみんなは必要な時に自身が常にいる状態を維持し続けてほしいと思います。自分がピッチに立ってない状態に憤りを感じ、貪欲に戦っていって下さい。
[GK 門田朋樹 (4回生)]

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