「としき」と呼ばれすぎて「ゆうや」と呼ばれた時の反応が鈍くなってきました。若松優也です。大学の4年間では本名よりもあだ名で呼ばれた回数が格段に多いです。後にも先にも味わうことのできない経験でしょうね。

最後のブログということで、僕のサッカー人生において切っても切り離せない両親の存在について書いてみたいと思います。

サッカーをしたいと思ったのは小学2年生の時。仲の良かった友達が地元のチームに入団したことがきっかけでしたが、それから数ヶ月間は入団させてくれませんでした。この間何をしていたのかというと、インサイドキックの練習です。父親がサッカーをしていたということもあり、インサイドキックぐらいできなあかんと言われ、ひたすら練習させられてから入団しました。あの期間は早くサッカーがしたくてたまりませんでした。そして入団して少し経つと、父親がチームのコーチになりました。試合をするたびにダメ出しばかりされていたような気がします。褒められる場面もあったのですが、それ以上にダメ出しが多く、その記憶の方が鮮明に覚えてます。

中学校進学時には、クラブチームに入団しました。このチームを紹介してくれたのも父親でした。地元の中学校の部活では弱いからそこではしたくないと伝えると、様々なクラブチームを探してくれ、練習参加をさせてもらいました。その中で自分に合ったチームを選びましたが、練習場には家から車で30分かかりました。土日は、ほぼ必ず試合がありました。毎回送り迎えをしてくれ、試合は必ず観戦してれた両親には感謝しかないです。

高3の総体において、負けたタイミングで引退する選手が多い中、高知大学を志望しながら選手権までサッカーを続けました。この決断に担任や学年主任の先生からは本当に大丈夫かと心配されましたが、両親は反対することなく応援してくれました。後から聞いた話ですが、かなり心配していたみたいです。また、この年はサッカー部の保護者会の会長をしてくれていました。保護者のまとめ役や様々な行事の資料作成など、本当に大変だったと思います。

大学でサッカー部に所属してからも、年に数回は試合を見に来てくれました。昨年、iリーグの全国大会に出場した際には、福島県のJヴィレッジまで見にきてくれました。まさか実家の徳島県から福島県まで来てくれるとは思ってもみませんでした。

ここまで長く両親について書いてきましたが、まだまだ書けていないことがたくさんあります。それほど僕のサッカー人生において両親は欠かせないものでした。トップチームでプレーする姿を見せられなかったことが一番の心残りです。感謝してもしきれないので、これから様々な形で恩返ししていきたいと思います。まずは、このブログを読んで泣いてくれてたら嬉しいですね。

[MF 若松優也 4回生]

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↑家族で可愛がってる実家のラム