最初に言うべきことではないかもしれないが、僕はこれまで出会った全ての人に感謝をしている。その中でもサッカーで関わった多くの人に助けられ、支えられ、たくさんのことを教わったおかげで楽しめてこられたのだと思う。これからもそれらへの感謝を忘れずにいたいと心から思う。
世の中には日記を毎日書いている人が一定数いるという噂である。きっと日々の小さな変化に気付いたり、自分自身を省みることのできるすてきな人間に違いない。さらにそれを長い間続けているようだったら、その地道さや丁寧さには尊敬するしかない。身近では聞いたことはないけれど、そのどこかの誰かは毎日を少しでも明るく過ごせている気がして、羨ましく思ってしまう。それならば、決して真似できないようなものでもないし、やってみればいいように思えるけれど、見たくもない自分の内側をさらけ出してしまいそうで、始めの一文字すら書きだせない。仮に書けたとしても、いつか自分で日記を読み返すことになった場合、また、もっと悪いことに他人に自分の日記を読まれてしまうようなことがあった場合、気取ったような、自分本位な文章に対して、恥じ、後悔することは間違いない。そんな結末になってしまわないためにも、僕は日記を書かないでいる。しかしながら、多少の憧れは止められず、最近メモをとるようにしている。毎日でもなく、大体が単語であったりするのだけれど、気になったことを見たり聞いたりしたときにスマホのメモに書いてみる。読み返せばほとんどが豆知識や知らない言葉で、僅かしか身の周りのことが書かれていないけれど、今はこれで十分である。
熊本には年に数日だけ、とてもきれいな景色となる御輿来海岸という場所があるらしい。メモに書く。‘聞きなし’という、鳥の鳴き声を日本語に当てはめたものがある。メモに書く。城崎温泉にはそこでしか読めない小説があるらしい。メモ。図書館で本を探していたら、40代からのシックスパックという本を読んでいたおじさんを見かけた。メモ。毎日、飲むヨーグルトを1L買っていくおじさんがいる。メモ。うそ寒、薄ら寒い。メモ。臍をかむ、臍はへそのこと。メモ。艱難汝を玉にす。メモ。磯の鮑の片思い。メモ。秋の日は釣瓶落とし。メモ。下手の横好き、下手なくせに、その物事が好きで熱心であること。なんだこれは、失礼なことわざだ。わざわざ言わなくていいことを言っている。あと、「くせに」が気に入らない。なんだか馬鹿にされた気分になった。そして無性に腹立たしく感じるのは、まっすぐに自分のことを言い当てられているからなのか。気づくともっとむかついてきた。しかし、この憎きことわざが今でも広まってしまっているということは、いつの時代にもいたのだろう。下手なくせに好きなことに熱心な人間が。いつまで経ってもうまくならない人間が。そんな見ず知らずの人に想いを馳せてみる。そして、その彼がどれほど下手でもやめようとはしなかった理由を、今の僕なら分かってあげられる気がする。きっと、彼には無条件で応援してくれる周りの人間がいたのだと思う。頻繁にボトルの水を換えてくれるような、そんな優しい人たちに支えられていたのだろう。なにか一つでも恩返しができたらと考えていたかもしれない。そしてきっと彼の周りには、同じことを好きな人がたくさんいたはずだ。戦術でわからないことがあれば丁寧に教えてくれるような、信頼できる相手もいたのだろう。期待されたくて、期待に応えたくて、もがいていたかもしれない。そしてなによりも、彼には乗り越えたくて、倒したくて仕方のなかった壁がいくつもいくつもあったに違いない。けれど、きっとその壁は練習や筋トレをしてどんどん大きくなって、彼が登ろうとすると全力で振り落とそうとしてくるのだろう。溢れる自信と経験で、彼との力の差を見せつけるのだろう。そのくせに、時に励ましたり応援したりして、心の広さも見せつけてくる。それでも、どれほど苦しめられても、そんなひどい人たちがみせる鮮やかなドリブルや、物怖じしないタックルや、あっと驚くパスや、劇的なゴールや、知的な戦略や、体を張ったセーブが、きっと彼の背中を押したのだと思う。辛さも吹き飛ばすほどの楽しさを教えていたのだと思う。泥も汗も怪我さえも気にせず、けなげに最後まで走り続ける姿に勇気をもらったからこそ、彼はうまくいかないことばかりでも続けてこられたのかもしれない。彼は好きなことから離れていく時、どんな気持ちだったのだろう。晴れやかな気持ちであったらいいな。メモ。
[DF 遠藤銀次郎 4回生]

↑全国でもがんばれ