「日本代表になりたいな」
小学生の頃に通っていた習字教室で書いた。習字習ってた。というと嘲笑されるぐらい落ち着きのない人間に育ってしまった。
「プロサッカー選手になりたいです」
小学校の卒業式でみんなの前で宣言した。とても大きな声で。胸を張って堂々と。友達にすごいねと言われ、先生にも褒められた。
サッカーをやっている人なら一度は言ったり書いたりするのではないだろうか。本田圭佑選手のような卒業文集。少なくとも僕の周りにいる友達はみんなそうだった。僕も例に漏れずその一人だった。というよりその一人になろうとした。
幼馴染に誘われてサッカーを始めた。小学校のチームではキャプテンをずっと務めた。正義感の強い性格とチーム内でも1、2を争う実力があったため自然な流れだった。しっかりして真面目でいないと…楽しいからやっていたサッカーが義務となっていたのはいつからだろう。
夢を持つことが大事だ。と大人たちは言う。プロになりたいとみんなは言う。すると大人たちは喜ぶ。本当になりたいかどうかはわからなかったけど、僕も言ってみた。するとみんな嬉しそうにしていた。それでよかった。
僕は承認欲求が強く、自分の存在を認められたいと思っていた。ただ、周りが理想とする人間に、サッカー少年になろうとしていた。サッカーの全てが大好きで、将来の夢はプロサッカー選手で、生活の全てをサッカーに捧げている彼のように。
中学では試合に勝ちたくて、上手くなりたくて、強いチームを選んだ。サッカー人生の中で一番上手くなった3年間だったと思う。どんどん上手くなって、どんどん強いチームと試合ができるようになった。しかし、どこか違和感があった。自分自身と周囲とのギャップに。なぜ、みんなプロを目指さないといけないのか。なぜ将来を考えてサッカーをしなくちゃいけないのか。夢がないとサッカーをしてはいけないのか。みんな口を揃えて、大きな夢を持とうと言う。夢を持っている人間が偉いかのようにもさえ感じてしまう。そんな世の中だから、みんな夢を持たないとと必死になる。自分を枠に押し込もうとする。そして、世間の理想とのギャップに、そして自分の本心とのギャップに悩み苦しむ。
もちろん、夢を持つことは素晴らしいことだと思う。夢を持つことで想像しえなかった結果を手にできることがある。ワクワクすることもできるだろう。ただ、夢なんて別になくてもいいじゃないか。自分の気持ちの赴くままに進めばいいじゃないか。夢が無くたってサッカーをしてもいいじゃないか。大学サッカーをやる理由も人それぞれ。高知大学サッカー部にいる理由も人それぞれ。
誰かに指図されることも、誰かに押し付けたりすることもない。僕は、全国大会という景色を見たい。できるだけ高い位置に登って、そして出来るだけチームの中央で見たい。その想いだけで4年間駆け抜けてきた。
先日、たまたま入学当時の紅白戦の映像を見返した。この4年間の成長が手にとるようにわかり鳥肌が立った。必死に食らい付いたもんなぁと自分を褒めたくなるほどだった。ただ、同時にその軌跡は自分1人ではなし得なかったんだとも感じた。
グラウンドには、本当に最高な仲間、マネージャー、監督、コーチ、支えてくれる全ての人がいた。みんなそれぞれ自分の想いがあって、嫌なことや苦しいことがあるだろうに、それを押し殺してチームのために尽くそうとする。毎日練習に行くのが楽しくて、しょうもない話をする部室が楽しくて、部活以外でも同じ時間を共有できるのが嬉しくて。ありがとう。僕は勘違いしていた。自分が成長するためにやるのではない。周りの理想像に近づくためでも、誰かにすごいと言われるためでもない。僕は共に闘いたいチームが、仲間がいるから、そしてただただ楽しくて自分がやりたいと思うからサッカーをする。
17年間続けてきたサッカーは残り1ヶ月。高知大学サッカー部に関わる全ての人のために、自分のために走り抜けよう。そして、サッカーに誘ってくれた彼と最後に全国で試合ができればそんな幸せなことはないだろうな。それを誰よりも楽しみにしている両親に見せられればいいな。楽しみ。
[DF 河村彰哉 (4回生)]

↑ 全国大会で勝ちたいな。
小学生の頃に通っていた習字教室で書いた。習字習ってた。というと嘲笑されるぐらい落ち着きのない人間に育ってしまった。
「プロサッカー選手になりたいです」
小学校の卒業式でみんなの前で宣言した。とても大きな声で。胸を張って堂々と。友達にすごいねと言われ、先生にも褒められた。
サッカーをやっている人なら一度は言ったり書いたりするのではないだろうか。本田圭佑選手のような卒業文集。少なくとも僕の周りにいる友達はみんなそうだった。僕も例に漏れずその一人だった。というよりその一人になろうとした。
幼馴染に誘われてサッカーを始めた。小学校のチームではキャプテンをずっと務めた。正義感の強い性格とチーム内でも1、2を争う実力があったため自然な流れだった。しっかりして真面目でいないと…楽しいからやっていたサッカーが義務となっていたのはいつからだろう。
夢を持つことが大事だ。と大人たちは言う。プロになりたいとみんなは言う。すると大人たちは喜ぶ。本当になりたいかどうかはわからなかったけど、僕も言ってみた。するとみんな嬉しそうにしていた。それでよかった。
僕は承認欲求が強く、自分の存在を認められたいと思っていた。ただ、周りが理想とする人間に、サッカー少年になろうとしていた。サッカーの全てが大好きで、将来の夢はプロサッカー選手で、生活の全てをサッカーに捧げている彼のように。
中学では試合に勝ちたくて、上手くなりたくて、強いチームを選んだ。サッカー人生の中で一番上手くなった3年間だったと思う。どんどん上手くなって、どんどん強いチームと試合ができるようになった。しかし、どこか違和感があった。自分自身と周囲とのギャップに。なぜ、みんなプロを目指さないといけないのか。なぜ将来を考えてサッカーをしなくちゃいけないのか。夢がないとサッカーをしてはいけないのか。みんな口を揃えて、大きな夢を持とうと言う。夢を持っている人間が偉いかのようにもさえ感じてしまう。そんな世の中だから、みんな夢を持たないとと必死になる。自分を枠に押し込もうとする。そして、世間の理想とのギャップに、そして自分の本心とのギャップに悩み苦しむ。
もちろん、夢を持つことは素晴らしいことだと思う。夢を持つことで想像しえなかった結果を手にできることがある。ワクワクすることもできるだろう。ただ、夢なんて別になくてもいいじゃないか。自分の気持ちの赴くままに進めばいいじゃないか。夢が無くたってサッカーをしてもいいじゃないか。大学サッカーをやる理由も人それぞれ。高知大学サッカー部にいる理由も人それぞれ。
誰かに指図されることも、誰かに押し付けたりすることもない。僕は、全国大会という景色を見たい。できるだけ高い位置に登って、そして出来るだけチームの中央で見たい。その想いだけで4年間駆け抜けてきた。
先日、たまたま入学当時の紅白戦の映像を見返した。この4年間の成長が手にとるようにわかり鳥肌が立った。必死に食らい付いたもんなぁと自分を褒めたくなるほどだった。ただ、同時にその軌跡は自分1人ではなし得なかったんだとも感じた。
グラウンドには、本当に最高な仲間、マネージャー、監督、コーチ、支えてくれる全ての人がいた。みんなそれぞれ自分の想いがあって、嫌なことや苦しいことがあるだろうに、それを押し殺してチームのために尽くそうとする。毎日練習に行くのが楽しくて、しょうもない話をする部室が楽しくて、部活以外でも同じ時間を共有できるのが嬉しくて。ありがとう。僕は勘違いしていた。自分が成長するためにやるのではない。周りの理想像に近づくためでも、誰かにすごいと言われるためでもない。僕は共に闘いたいチームが、仲間がいるから、そしてただただ楽しくて自分がやりたいと思うからサッカーをする。
17年間続けてきたサッカーは残り1ヶ月。高知大学サッカー部に関わる全ての人のために、自分のために走り抜けよう。そして、サッカーに誘ってくれた彼と最後に全国で試合ができればそんな幸せなことはないだろうな。それを誰よりも楽しみにしている両親に見せられればいいな。楽しみ。
[DF 河村彰哉 (4回生)]

↑ 全国大会で勝ちたいな。