3回生の窪内天哉です。8月の総理大臣杯を終えた後、新型コロナウイルスの影響での約1ヶ月間の部活動自粛期間がありましたが、つい先週部活動が再開しました。またサッカー部の仲間とともに過ごす何気ない日常が戻ってきつつあり、とても嬉しく思います。さて、今回のブログはあらかじめ与えられたテーマがなく、自由に書いて良いとのことなので、少し自分が最近見た映画について書こうかなと思います。
みなさんは「マトリックス」という映画をご存知でしょうか。この映画は1作目が1999年に公開され、その後、2作目・3作目と続編が出ており、最近では4作目ね公開情報もある人気シリーズです。ジャンルはSFアクションといった部類になるかと思われます。スタイリッシュなアクションシーンに目が行きがちですが、そこに絡む哲学や宗教といった少し複雑なテーマが物語の深さを生み出しています。具体的に言うと、この映画は「現実が現実であって現実でない」というなんだか哲学的なコンセプトを軸に展開されています。詳しくは映画を見て欲しいのですが、いわば「我々の住むこの世界が何者かによって作られたものである可能性」について考えたものです。もちろん制作陣によって映画として物語を楽しむエンターテイメントとして作り出されたものですが、一方でこの世界観について多くの科学者や哲学者が仮想現実という存在の可否を議論してきたわけです。この物語の裏に隠された現実世界の議論も含め、僕はこの作品を非常に魅力的に感じています。実際、この世界が仮想現実である可能性は現在も否定されていませんし、この世界が仮想現実である証拠というのもはっきりとはありません。この終わらない哲学的な議論にも魅力を感じます。
この議論について僕は、「今我々が過ごしている現実で我々の世界と全く同じ世界を仮想現実につくり出すことが出来るようになれば、我々の世界が仮想現実であることが確定する」と考えます。難しそうですが、少し考えれば腑に落ちると思います。ここまで少しオカルトちっく、非現実的な話をしてきましたが、それが非現実であるとも限らないわけです。こんな話をしていると変わっているやつと思われそうなのでここら辺でやめにしますが、1つ言いたいのは、この世界がもし仮想現実で外側の誰かが「窪内天哉」を操作しているのならそのプレーヤーはおそらく課金プレイヤーでしょう。なぜならこの「窪内天哉」という人間は家族に恵まれ、素晴らしい友人に恵まれ、頭も良くてサッカーもできて、そこそこイケメンな幸せな生活を送っているからです。冗談はさておいて、そんなことは言いつつも結局、今現実に存在している「僕」は、紛れもなく自分の意思で生きている「僕」です。自分にとっては目の前にあるものこそが現実だから。どんな世界であれ、今目の前のことを精一杯頑張ります。みなさんも何が現実、何が非現実、自分は何者なのか、少し夜が更けたときVaundyでも聴きながら考えてみてください。新しい何かに気づくかもしれません。辛い時は「これは現実じゃない」とか、そういう都合の良い解釈ができるぐらいがちょうどいいですね。しかし考えすぎも良くありません。朝練が終わってみんなとお喋りするとか、友達とゲームするとかそんな無駄な繰り返しの繰り返しが大事なんです。その時間が僕らの現実を現実たらしめているのです。大学生活もあと半分もありません。無駄な思い出を紡いで行きたいですね。
僕の他愛もない話に最後まで付き合っていただきありがとうございました。コロナ禍での不便な生活はまだまだ続いていますが、現実を受け止めて今自分にできることが何か考えながら生活していくことにしましょう。このブログを読んでくださった方の1日がより良いものとなることを願っています。ありがとうございました。
[MF 窪内天哉(3回生)]

↑かずお
みなさんは「マトリックス」という映画をご存知でしょうか。この映画は1作目が1999年に公開され、その後、2作目・3作目と続編が出ており、最近では4作目ね公開情報もある人気シリーズです。ジャンルはSFアクションといった部類になるかと思われます。スタイリッシュなアクションシーンに目が行きがちですが、そこに絡む哲学や宗教といった少し複雑なテーマが物語の深さを生み出しています。具体的に言うと、この映画は「現実が現実であって現実でない」というなんだか哲学的なコンセプトを軸に展開されています。詳しくは映画を見て欲しいのですが、いわば「我々の住むこの世界が何者かによって作られたものである可能性」について考えたものです。もちろん制作陣によって映画として物語を楽しむエンターテイメントとして作り出されたものですが、一方でこの世界観について多くの科学者や哲学者が仮想現実という存在の可否を議論してきたわけです。この物語の裏に隠された現実世界の議論も含め、僕はこの作品を非常に魅力的に感じています。実際、この世界が仮想現実である可能性は現在も否定されていませんし、この世界が仮想現実である証拠というのもはっきりとはありません。この終わらない哲学的な議論にも魅力を感じます。
この議論について僕は、「今我々が過ごしている現実で我々の世界と全く同じ世界を仮想現実につくり出すことが出来るようになれば、我々の世界が仮想現実であることが確定する」と考えます。難しそうですが、少し考えれば腑に落ちると思います。ここまで少しオカルトちっく、非現実的な話をしてきましたが、それが非現実であるとも限らないわけです。こんな話をしていると変わっているやつと思われそうなのでここら辺でやめにしますが、1つ言いたいのは、この世界がもし仮想現実で外側の誰かが「窪内天哉」を操作しているのならそのプレーヤーはおそらく課金プレイヤーでしょう。なぜならこの「窪内天哉」という人間は家族に恵まれ、素晴らしい友人に恵まれ、頭も良くてサッカーもできて、そこそこイケメンな幸せな生活を送っているからです。冗談はさておいて、そんなことは言いつつも結局、今現実に存在している「僕」は、紛れもなく自分の意思で生きている「僕」です。自分にとっては目の前にあるものこそが現実だから。どんな世界であれ、今目の前のことを精一杯頑張ります。みなさんも何が現実、何が非現実、自分は何者なのか、少し夜が更けたときVaundyでも聴きながら考えてみてください。新しい何かに気づくかもしれません。辛い時は「これは現実じゃない」とか、そういう都合の良い解釈ができるぐらいがちょうどいいですね。しかし考えすぎも良くありません。朝練が終わってみんなとお喋りするとか、友達とゲームするとかそんな無駄な繰り返しの繰り返しが大事なんです。その時間が僕らの現実を現実たらしめているのです。大学生活もあと半分もありません。無駄な思い出を紡いで行きたいですね。
僕の他愛もない話に最後まで付き合っていただきありがとうございました。コロナ禍での不便な生活はまだまだ続いていますが、現実を受け止めて今自分にできることが何か考えながら生活していくことにしましょう。このブログを読んでくださった方の1日がより良いものとなることを願っています。ありがとうございました。
[MF 窪内天哉(3回生)]

↑かずお