「35,000」この数字は、ケンブリッジ大学のバーバラ・サハキアン教授の研究による、人間が何か物事を決める行為、いわゆる「決断」を行う回数であるという。これは、1日を24時間であると仮定すると、1日は86,400秒であるので、約2.5秒に1回「決断」しているということになる。その中であまり記憶に残らないような「決断」もあれば、大きく記憶に残ってしまう「決断」もある。
では何故、同じ「決断」という行為であるにもかかわらず、記憶の残り方が異なるのか。これについて私の経験だけを元に推論をしてみた。すると、連続する2つの要因があると予想できた。まず1つ目は、行なった「決断」の結果にインパクトが大きいか小さいか、である。例を挙げると、お菓子を買う時に、AとBで迷った末にAを買って、その後家で食べた際に、やはりBの方が今の気分には合っていたなと、さっき行った「決断」に対して後悔をする。これは大半の人はすぐに忘れてしまうであろう。これが先ほどの「小さいこと」である。逆に「大きいこと」は、希望した高校に、いざ入学してみると、入学前のイメージと異なり、追い打ちをかけて、迷っていた高校に入学した友達に、こっちの高校はめっちゃ楽しいよ!などと言われた時のようなことです。
2つ目は、「決断」の結果が成功であるか、失敗であるかである。よく成功体験が大事ということを耳にする。これは別に間違っていないし、私も大事だと思う。ただ、私が思うに、成功体験で身につくのは記憶ではなく、感覚である。例えば、学校のテストで難しい問題が出た時、しっかり考えた上での成功(正解)であったならば、次、早い時期に似たような問題がでてきても解けるという感覚がつく。しかし、失敗(不正解)であれば、悔しくて、しばらく頭にその問題のことが残ってしまう。特にこの1問で100点を逃してしまった、となれば、更にその問題に対して、殺意とも呼べるくらいの感情が湧いてしまう。そうして復習して、長いこと自分の記憶に自然と留めておくことができたおかげで、次、しばらく時間が空いても正解に辿り着くことができる(と思う)。
このように、大きく2つのプロセスを得て、ある「決断」の失敗したを状況における記憶の残り方を説明してきた。では次に失敗した「決断」について、自分の考えを話していく。
私自身、過去のあらゆる場面で後悔をしてきた。思い返して真っ先に出てくる後悔の「決断」の数々は、自分にとって大きかったものばかりであるし、失敗したなと思うことがほとんどである。だが、今は少しだけその思考を変えて、"「決断」した道を成功した道にする"という考え方で生きている。似たような言葉でいうと、置かれた場所で花を咲かせるである。これを読んでくれている方々には自分の「決断」してきたことについて、少し思い返してもらいたい。全てを正解の道で生きてきたと思えている人は、ほとんどいないと思う。むしろ、俺はここでこの「決断」ではなく、こっちの「決断」をしておけば... という人が大半であると思っている。誰しもその道が正解であるか、間違いであるかを最初からわかるはずがない。事前に調べたり、他人に聞いたりしていても、わかるのは、自分が関わっていない事実だけで、自分が関わった事実は、その道を選んでからしかわからないのだ。
長々述べてきたが、大切なのは、決める前より決めた後ということである。どんな「決断」であったとしても、私たちの考え方一つで、それは成功にも失敗にもなる。失敗とも思えるような「決断」を、自分の力で成功へともっていくのは本当に素晴らしいことであり、なによりも失敗ばかりの人生と思うより、成功だらけの人生にする方が楽しくありませんか?
[FW 岡本祥慧 (新4回生)]

では何故、同じ「決断」という行為であるにもかかわらず、記憶の残り方が異なるのか。これについて私の経験だけを元に推論をしてみた。すると、連続する2つの要因があると予想できた。まず1つ目は、行なった「決断」の結果にインパクトが大きいか小さいか、である。例を挙げると、お菓子を買う時に、AとBで迷った末にAを買って、その後家で食べた際に、やはりBの方が今の気分には合っていたなと、さっき行った「決断」に対して後悔をする。これは大半の人はすぐに忘れてしまうであろう。これが先ほどの「小さいこと」である。逆に「大きいこと」は、希望した高校に、いざ入学してみると、入学前のイメージと異なり、追い打ちをかけて、迷っていた高校に入学した友達に、こっちの高校はめっちゃ楽しいよ!などと言われた時のようなことです。
2つ目は、「決断」の結果が成功であるか、失敗であるかである。よく成功体験が大事ということを耳にする。これは別に間違っていないし、私も大事だと思う。ただ、私が思うに、成功体験で身につくのは記憶ではなく、感覚である。例えば、学校のテストで難しい問題が出た時、しっかり考えた上での成功(正解)であったならば、次、早い時期に似たような問題がでてきても解けるという感覚がつく。しかし、失敗(不正解)であれば、悔しくて、しばらく頭にその問題のことが残ってしまう。特にこの1問で100点を逃してしまった、となれば、更にその問題に対して、殺意とも呼べるくらいの感情が湧いてしまう。そうして復習して、長いこと自分の記憶に自然と留めておくことができたおかげで、次、しばらく時間が空いても正解に辿り着くことができる(と思う)。
このように、大きく2つのプロセスを得て、ある「決断」の失敗したを状況における記憶の残り方を説明してきた。では次に失敗した「決断」について、自分の考えを話していく。
私自身、過去のあらゆる場面で後悔をしてきた。思い返して真っ先に出てくる後悔の「決断」の数々は、自分にとって大きかったものばかりであるし、失敗したなと思うことがほとんどである。だが、今は少しだけその思考を変えて、"「決断」した道を成功した道にする"という考え方で生きている。似たような言葉でいうと、置かれた場所で花を咲かせるである。これを読んでくれている方々には自分の「決断」してきたことについて、少し思い返してもらいたい。全てを正解の道で生きてきたと思えている人は、ほとんどいないと思う。むしろ、俺はここでこの「決断」ではなく、こっちの「決断」をしておけば... という人が大半であると思っている。誰しもその道が正解であるか、間違いであるかを最初からわかるはずがない。事前に調べたり、他人に聞いたりしていても、わかるのは、自分が関わっていない事実だけで、自分が関わった事実は、その道を選んでからしかわからないのだ。
長々述べてきたが、大切なのは、決める前より決めた後ということである。どんな「決断」であったとしても、私たちの考え方一つで、それは成功にも失敗にもなる。失敗とも思えるような「決断」を、自分の力で成功へともっていくのは本当に素晴らしいことであり、なによりも失敗ばかりの人生と思うより、成功だらけの人生にする方が楽しくありませんか?
[FW 岡本祥慧 (新4回生)]

↑ 「どんな困難にも恐れず挑んでいく男達」