私は10年ほど前に、なでしこジャパンの選手が「試合中に自身がボールを持っている時間は1〜2分である。これはメッシにも当てはまること」と発言している場面を目にしたことがあります。

この言葉を聞いて、私は今になって考えたことがあります。「試合中に自身がボールを持っている時間に懸命になることは当たり前。自身がボールを保持していない時間にチームのために何ができるかが大事である」と。

試合に出ている選手には今一度、自覚してほしいことがあります。それは、どれだけの人が自分をサポートしてくれているかということです。試合に出場できていない選手、サポーター、指導者、マネージャー、簡単に挙げただけでもこれだけの人が出てきます。実際はもっと多くの人が自分たちのために動いてくれています。試合に出ている選手にはこれだけの人が助けてくれていることを自覚してほしいです。

私は最後の一年にも関わらず、自分が選手という立ち位置から身を引いたことに後悔はしていませんでした。しかし、周りを見た時に選手としてプレーしたいが出来ない人が他にいることに気づいた時、申し訳ないという感情が湧き出しました。コーチや監督としてチームに尽力している学生、大きな怪我によって試合に出れない同期、これらの人のことを考えた時に自分の身勝手さに気づきました。そのことを自覚した時にもう一度自分の振る舞いを見直そうと決心しました。

これからの高知大学サッカー部に所属する人たちに意識してほしいことがあります。「やりたいことができるのは、誰かが我慢し犠牲になっているから」だということを考えながら行動してください。選手たちに伝えたいことがあります。「当たり前」にできてることが「当たり前」だと思わないでください。部活動に関して言えば、サッカーが当たり前のようにできているのは、あらゆる場面で多くの人から支援していただいています。

身近なところで言うと、監督・コーチ、チームメイト、マネージャー。さらに視野を広げてみると、家族、過去の恩師など挙げるとキリがないほどたくさんの人に支えられるていることで、サッカーに取り組めています。このことを意識すれば、もっと本気で取り組めるのではないでしょうか?最後の1年間を見ていて感じたのは、自分が「やりたい」ことを我慢して「やるべき」ことに注力してくれた人たちに感謝しながら、「やりたい」ことに取り組めているのかということです。

「やりたい」ことを我慢して「やるべき」ことに注力してくれた人を数人挙げようと思います。愛斗、嘉希、慎吾、聖太、優太は、チームのために「やるべき」ことに注力してくれた人達だと思います。これまでも、またこれからもこのような人たちは発生しますが、自分のやりたいことに打ち込めている部員には、これらの人たちの思いを意識して取り組んでもらいたいです。そして、最後には後悔なく自分で「力を出し切れた」と言えるところまでやってみてください。

私は後半の2年間、何度も悩み不要な涙を流してきました。部活に対して真摯に向き合ってきた人たちはこのことに共感できると思います。高知大学サッカー部は非常に人数の多い集団です。そのため、一人ひとりを見たときにあまり関わりを持てていない部員もいると思います。そのことを自分事として捉えることができた人には、少しずつでもいいのでコミュニケーションをとるように心がけてほしいです。誰か一人でもいいので、自分に最も近い味方を見つけてください。自分だけでは解決できない課題にぶつかったときに相談できる相手を見つけてください。その人がいることで、少しは救われることがあるかもしれません。

最後になりますが、自分の部活やサッカー人生が終わったときに笑顔になれるような日々を送ってください。長い間お世話になりました。ありがとうございました。

[MF 中野桂舟 (4回生)]

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