サッカーはできなくなった瞬間にその存在の大きさを教えてくれます。チームメイトと走ること、ボールを蹴ること、練習に参加すること、そのすべてが、どれほど恵まれた時間だったのかを僕は思い知らされました。

1回生の時には二度の手術を経験し、ほぼ1年間サッカーをすることができませんでした。2回生ではCチームからのスタートとなり、なかなか試合に馴染めず、3回生でようやく出場機会が増え始めた矢先、今度は手足が麻痺しました。自分の中では人生のどん底のように感じた瞬間でした。4回生前期では全試合に絡み、後期も当たり前のように全勝して全国へ行くものだと思っていました。しかし、本当のどん底はここからでした。怪我というものは、本当に突然やってきます。調子が良い時期に点を決めたその瞬間でした。

「あの時、ともきが最高のパスを出していなければ」「じゃけが僕を止めていれば」など、たらればを死ぬほど考えました。両親も宮崎から観に来る、僕のサッカー人生の集大成が始まる2週間前のことでした。その晴れ舞台に雨が降りました。(エモポイント)

今までとは違い、「時間が残されていない」という現実が重くのしかかりました。「治せば戻れる」では済まされない感覚が僕の心を痛めつけました。そんな僕を、いとも簡単に救ってくれたのは、やはり周りの人間の存在でした。怪我をした日の練習後、「なんで今なんだろう」と電話をした際に、「生きてるからいいじゃない」と極論で慰めてくれる母。涙を流す僕のそばで、ずっと座ってくれた山木やこんしょ。夕方近くまで病院に付き添ってくれた長尾。送り迎えしてくれるりょーちんやはるさ。リハビリや遊びに車で連れて行ってくれる、3つ下の大羅。大泣きしながら電話をくれたり、弟と嘘をついて病室まで面会に来る凪。僕のギプスを匂って「くせぇ、くせぇ」と言い続けるきの。「引退おめでとう」と握手してくるしゅんすけ(光森)。「こたが練習に来なくなって後輩がイキイキしてる」と言うキャプテン翼。「面会に行くわ」と言って、それ以降一切連絡のないとうや。

それぞれが、それぞれの関わり方で。
そのすべてに、僕は救われました。

怪我のおかげで、自分のサッカーへの愛の大きさや周りの人間の思いやり、大切さ、そして自分がどれほど恵まれているかに気づくことができました。

常に周りに感謝しろとは言いませんし、僕自身もそう思っていません。ただ、こんなにも心強く、勇気づけてくれる仲間が周りにいるということを、サッカー部のみんなには意識してほしいです。どんなに辛くても、苦しくても、支えてくれる人は必ずいます。サッカーを楽しんで、楽しんで、挫折して、人間として成長できるこの環境を、大切にしてください。

そして、剛。
お前だけは、怪我した日から一切心配もせず、「野菜食べないから骨折れるんですよ」って言いふらしてたこと、まだ許してない。まぁ、みんなバイトとか就活とか、楽しくないことはやめて、筋トレしよう。

家族へ
サッカーの試合でしか楽しませることのできない人間が、最後の試合前に怪我をしたのにも関わらず、宮崎からはるばる試合を見にきてくれてありがとう。申し訳ない気持ちでいっぱいになったけど、日髙家の明るさに救われました。幼い頃からサッカーへのサポートに応援、自慢話を一番聞いてくれたり、泣いて喜んだりしてくれた母と、監督よりも叱り、帰っては基礎を練習させられ、とにかく見に来てほしくなかったけど、一番期待と応援をしてくれていた父親は僕の誇りの両親です。今でも2人にできる親孝行はサッカーでの活躍しかない僕が怪我をして手術代や入院代の負担、そしてサッカーを見せることもできなかったことを後悔してるし、一生後悔しそうです。まだサッカーは続けるつもりですが、ここで一区切りつきそうです。

2人のおかげで最高のサッカー人生が送れました。本当に今までありがとうございました。大谷翔平に憧れたので、来年からは野球を始めます。今まで通り、サポートや応援よろしくね。

[FW 日髙瑚汰朗 (4回生)]


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↑俺よりかっこいい脚のやついる?