これは3年生の夏の出来事で、皆帰宅し、グラウンドに残るのは私1人となっていた。遅くまで自主練をしていた私が帰宅の準備をしてボールの片付けを済ませて帰ろうとチャリに乗った時、ふとグラウンドに誰かいることに気が付いた。グラウンドの奥の方で、誰かが走り回っていたのである。まだ誰か残っていたのか、それとも猫か何かが校庭に入り込んだのか、どちらにしても放ってはおけないと私は「誰?」と呼びかけた。するとその誰かは私に向かって走りながら近づいてきた…

4年間の最後のブログを書くにあたって、色々なテーマが思い浮かびましたが、結局、これまで13年間のサッカー人生を振り返りたいと思います。

小学4年生
ゲームオタクでかけっこをしても女の子より足が遅く、運動が大っ嫌いだった私だったが、体育でのサッカーの授業をきっかけにサッカーを始め人生が変わりました(ここでのきっかけが体育の先生になるきっかけになることも当時は全く想像がつきませんでした)。

中学3年間
とにかく走りました。同年代でサッカーをしている人なら、走りに関する武勇伝をおそらく1つは持っているかと思いますが、その武勇伝に負けないほどのネタがあるほどに走りました。

高校3年間
一言で表せば『怪我』手術回数5回、高校3年間でまともにプレーすることができた期間はおそらく半分くらいだと思います。しかし、復帰という目標を定め、諦めずに取り組んだこと、怪我して気付いたこと、家族、仲間様々な支えがあってプレーすることができていることを実感できたことなど、その3年間での経験は間違いなく人生の糧となっています。苦しい時期も我慢して取り組んでよかったなと今では心から思います。

大学4年間
初めての練習試合への参加。同じ車に乗っていたのがPEPEさん、金(キム)さん、ユフくん、外国人の多さに驚いたことを今でも覚えています。

大学4年間で最も苦労したのは今年1年間です。採用試験の勉強に追われる日々、自称エアバトラーである私のサッカースタイルとは真逆のサッカースタイルへの移行。「サッカーってこんなに難しかったっけ?」と思わされる日々が続きました。今のスタイルに順応することができず、最後は試合に出れませんでしたが、引退が決まった時には後悔は全くなく、やりきったと思うことができました。

と、ざっと13年間を簡単に浅く振り返るとこんな感じになります。まだまだ伝えたい事はたくさんありますが、この辺にしておきたいと思います。文中でも少し触れているように、私は来年から高校の教員になります。このサッカーから学んだこと、体育をきっかけに運動を好きになったことなどを今度は教える側として発信することができたらと思ってます。

長くなりましたが、最後に私の好きな歌の歌詞で締めたいと思います。

『ああ、人生が二度あれば、もしもこの人生が二度あれば次はどんな生き方をするだろう 時を戻せるのなら今度はどっちの道を選ぶだろう ああ、人生が二度あれば、もしもこの人生が二度あれば涙なんて流れはしないだろう 命がこんなに輝きはしないだろう』

決して楽な22年間ではありませんでしたが、人生が二度あったとしても、私はもう一度同じ道を選びます。

[Bチーム代表 DF 細川敬央(4回生)]

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まったく関係ありませんが、昨年の全国ビーチサッカー大会、沖縄にて。