俺か。俺以外か。
4回生ショウヤカワムラが愛して止まない、ホスト界の帝王ことローランドの名言である。馬鹿らしいほどの二元論。何言ってんだ、とも思うが僕の人生も意外とこんな感じだった気がする。
サッカーか。サッカー以外か。
5歳の頃からボールを蹴り始め、以後17年間片時もサッカーから離れたことはない。サッカーを始めたきっかけを母に尋ねたことがある。
「自分から『やりたい』って言い出したんだよ。体操も水泳も無理やりやらせたけど、サッカーだけは自分で選んだんだよ」
僕には「あれがやりたい」「これじゃなきゃダメだ」という欲があまりない。周りに合わせ、その時々でよいと思ったものを選ぶ程度だ。
しかし、サッカーに限っては明確に自分の意志があった。これまでの人生様々な選択をしてきたが、どの場面においても「サッカー」という要素だけは除外できなかった。
一方で、果たしてそれでよかったのか。
という疑念もいくらか残る。殊、大学ではもっと他の選択肢を検討すべきだったのではないかと。
少しでも偏差値の高い大学に進んだり(偏差値がすべてではないが大事な要素だと思っている)、ビジネス経験を積んだり、世界旅行をしたり……。
選ぼうと思えばサッカー以外の道なんていくらでもある。むしろ、それ以外の方が遥に多い。
自分の可能性をもっと模索できたのではないか。そう感じる。
サッカー人生最後の真剣勝負をしたい。
逃げずに自分の可能性にチャレンジしたい。
そう思って高知大を選んだが、もしかしたら僕は
「サッカーから逃げなかった」のではなく「サッカーに逃げた」のではないか。
そんな思いがふとよぎる。知らない世界に飛び込むのが怖くて、自ら新しい可能性を潰してしまったのではないか。そんなことを考えてしまう。
高校の同期に「日本とアフリカを繋ぐ」という大きな夢を持っている友人がいる。彼は海外の大学を1年で中退し、愛媛に拠点を置く会社に入社。現在日本とアフリカを行き来する生活をしている。僕には想像もできない夢を描き行動する彼をみると、自分の小ささを痛感する。
先日、その友人から3年ぶりに連絡があった。メッセージもなく、突然電話がかかってきたので何事かと思ったが「フットサルをするから練習着を送れ」という何とも気の抜ける連絡だった。
誰とするのか尋ねると「メルカリの創業者だよ」とかなんとか。敵わないなぁ
「あっ、ちょっと待って。 Hey. Can I …………」今度は英語で同僚と話し始めた。敵わないなぁ。
彼は僕の知らない世界に住んでいる。
「お前やっぱ凄いな」
「何が?」
「やりたいことがあって、努力して突き進んで」
「そんなことないよ。祐耶はどうなの?」
「やりたいこととかないんだよね。サッカーしかしてないし。将来の夢もないし」
「うーん。よくわからないけど、それが祐耶のよさなんじゃない。将来のことがわからなくても、その分目の前のことに一生懸命で。高校の時からそこは変わってないよ」
……敵わないなぁ。
友人の言葉にはっとさせられた。
サッカーに逃げた。とか
サッカーから逃げなかった。とか
そういう難しい話じゃないのかもしれない。
目の前にサッカーという選択肢があって、「やりたい」と思ったから選んだ。それだけのことなのかもしれない。きっと5歳の頃からずっとそうだった。
そうやって選んできた道が正しいとか間違ってるとかは正直わからない。だけど今こう思う。
まぁ、なんでもいっか。楽しかったし。
無邪気にボールを蹴っていたあの時も。上手くなりたいともがいている今も。ずっとサッカーが楽しかった。
この気持ちに偽りはないし、この気持ちがすべてだろう。
サッカー人生17年。目の前のボールを必死に追いかけてきた。悔しい思いをしてきた。忘れられない瞬間、言葉にできない感情と出会ってきた。
全部ひっくるめて楽しかった。
そんな時間も僅かしか残されていない。
名残惜しい。少しでも長くグラウンドに居たい。
そう思えるのは仲間のおかげだ。
「なべ」そう呼んでくれる人たちがいる。
このチームに居られて、高知大を選んで本当によかった。
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主務として。
最後になりましたが、高知大サッカー部に関わってくださった皆さま、一年間本当にありがとうございました。主務として多くの方々と接する機会を頂きました。どなたも高知大のことを気にかけてくださり、応援してくださいました。コロナ禍という前代未聞の事態の中、多くの方々が手を差し伸べてくださいました。僕の未熟さ故、ご迷惑をおかけすることも多々あり、その度に助けられました。
人の繋がりを大切にしようと、今年のスローガンは「和」になりました。その「和」を最も実感したのは僕だったのかもしれません。人の繋がりは部員だけでなく、部の外側にまで広がっていました。僕たちは多くの人に支えられてプレーしている。その言葉を本当の意味で理解した一年でした。
主務をやっていてよかったと心から思いますが、苦労も多かったです。もう一度やるかと聞かれたら正直悩みます。先日、先々代主務の航平さんから連絡がありました。「主務お疲れ様。あの大変さは経験したやつにしかわからないな」と。間違いないです。引退まであと少しだけ頑張ります。
【追記】
昨日、Bチームのアイリーグ辞退が正式に決定しました。Bチームの選手たちはやり切れない気持ちだと思います。かける言葉も見つかりません。
四国トーナメント優勝後、Aチームのオフ期間にBチームの練習に参加させてもらいました。僕自身Bチームでプレーする期間が長かったこともあり、古巣に戻ったような気がしました。楽しく真剣にわちゃわちゃとしたあの雰囲気が僕は好きでした。あの雰囲気を味わうことも側から見ることももうできないと考えると寂しいです。
※もちろんAチームも大好きです。寛史に「そのまま一生Bに居ろ」とか言われそうなので注意書きしておきます。
チームとしては「#atarimaeni CUP」出場の可能性がまだ残されています。
やり場のない部員の気持ちを考えると「彼らの分まで」とは簡単には言えません。それでも少しでも何かを残せるよう、選手として主務として、残された時間を大切にしようと思います。
みんな頑張ろう。
[DF 渡邉祐耶 (4回生/主務)]

↑ タッチライン2本あるけど、まぁいっか。
※この後ペイントで綺麗に消しました。